301: 名無しさん@おーぷん[sage] 2018/02/13(火)11:37:00 ID:Nen [1/1回]
二十何年経てやっと、当時の自分は放置子(?)だったのかもしれないと気づいた。
気団まとめ_W336x280


小学生の頃母が昼のパートで働き始めたんだけど、その理由が「友人の家に赤ちゃんが産まれるから、友人の抜ける穴を埋める」みたいなことだったんだよね。
で、母が仕事に出て3ヶ月くらいは、2日とか3日に1回、お腹が痛い熱っぽいって言っては保健室で寝たり、職場に電話をかけて迎えに来てもらったりした。
病院も何回か行ったけれど、異状なし。
今にして思えば、当時の自分は、お母さんよその赤ちゃんじゃなく私を見て、って言いたかったのかも、と思う。
それが落ち着いたら、今度は毎日のようにクラスの友達の家に遊びに行く。クラス数は少なかったけど、1クラスの人数自体は多かった時代だったから、
毎日別の、本当にいろんな子の家に行った。
それを続けながら、本屋に入り浸ったり、夕飯のあとに駅ビルまで行ってふらついたり。でも、親は何も言わなかった。
昼間のパートだけのはずがいつのまにか、夕方~夜の飲食店でのバイト?も増えてて、家で母親と顔を合わせるのがほんとに数時間しかない日のほうが多かった。でも、とにかく気にかけてもらいたかった。
中学に上がると距離無しの性格のせいでいじめに遭って、一学期で不登校になりかけた。
それで母親はようやく昼間だけの仕事に転職をしたんだけど、私がいじめられてた数カ月の間、授業の提出物を出していなかったことを知って烈火のごとく怒った。あんたのために転職したのに、とも。

多分放置子って言葉がなかった時代だったけど、そのころを思い出すと、余所様に迷惑ばっかりかけてたなって心が痛くなる。
楽しい思い出って言われて思い出せることがあんまりないし、うろつき回っていたことやいじめのこと以外はすごくぼんやりしてる。

引用元: ・何を書いても構いませんので@生活板57




このまとめが気に入ったら
「いいね!」または「フォロー」
よろしくお願いします!
1001: 以下、おすすめ記事をお送りします: 2018年04月16日 20:00 ID:kidanmatome