835: 名無しさん@おーぷん[sage] 2015/03/19(木)03:13:19 ID:Bp8 [1/3回]
修羅場ってほどでもないかもしれないけれど、当時の自分にとってはきつかった話。
長くなってしまいましたが、今度結婚が決まり吐き出したく書き込みました。

当時私は幼稚園児で、父が念願のマイホームを建てて引っ越してきたばかりだった。
初めての一戸建てで両親の夢も詰まった注文住宅、家は大きくないけれど自分の部屋もあってみんな幸せだった。
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けれどすぐに母方の祖父母が越してきて、一階を占領してしまった。
当時は小さくてよくわからなかったけれど、どうも勝手に家を売って特に相談もなく来て強制同居したらしい。
それからというもの一階は祖父母で二階は私たち家族という構図になり、もちろん二世帯想定で作ってないから手狭だしそもそもお風呂もキッチンも全部下。
当然不都合が出てくる。
そこからすぐに祖父が空き家を買ってリフォームし、引っ越した。
父からしてみれば念願のマイホームをたった数年で手放し、更に義両親と同居しなければならなくなったのだから心の中では相当な修羅場だったと思う。
私は当時小学生で大きめの家に引っ越しになり、近場だったこともあり転校もなかったからただはしゃいでたけれど。
引っ越し後の家は完全に玄関から何もかも別な二世帯だったし、私は初孫で女の子だったから祖父には可愛がられていてよく下に遊びに行っていた。
けれどゆっくり家庭が崩壊していくのに気付けなかった。

836: 名無しさん@おーぷん[sage] 2015/03/19(木)03:14:17 ID:Bp8 [2/3回]
小学校高学年になり、まず祖母が鬱病になった。
まだ今ほど鬱病がメジャーではなかったからか酷かったからか病院からも門前払いされる始末で、アルツハイマーまで併発するようになってしまった。
体が動く分何をするかわからない状態で、24時間監視しておかないと危険な状態。
当然のように母が介護にあたった。
すると元々心が弱い母はあっという間に鬱病をもらってしまった。
祖父は他人に優しく身内に冷たい人。
他人には気前よくいろいろとしてあげるけど身内にはとんでもない理論をぶつけ容赦ない。
祖父は体が悪く思い通りに動かないのだけど、それをたてに我儘もすごい。
母には兄と姉がいるんだけれど、私が大学生になるまで姉は存在さえ知らなかったし、兄もほとんど寄り付かなかったのは祖父のそんな性格に辟易して疎遠にしていたからだと後から知った。
友人のいとこがとか親戚のって話を聞くたびに羨ましくてでも小さいながらに聞いてはいけないのはわかっていて、初めてはとこに会った時にもらったキーホルダーはとても大切な宝物だった。
同じ家にいるのに弁護士経由で家のポストに母宛にいかに介護と家事がなっていないかを書いた分厚い紙の束が入っていたこともある。(もちろん母は一生懸命やっていた)

母が鬱病になったのは祖父のそんな追い込みと祖母の介護疲れだと思う。
母は家事を何もしなくなって家がどんどん汚くなり、化粧品などの買い物中毒にもなった。
変なマルチや芸能商法にも引っかかったりもした。
父ともよく喧嘩になりまさにヒステリーに喚き散らす物も投げる。
私も今となっては言っちゃいけないとわかる言葉を(がんばれとかなぜ家事しない甘えだとか)母にぶつけていて、私が父の鞄からゴムを見つけてしまい最初はよくわからなかったが携帯を見ると浮気ととれる内容もありととにかく家の中がぐちゃぐちゃだった。

837: 名無しさん@おーぷん[sage] 2015/03/19(木)03:14:25 ID:Bp8 [3/3回]
祖父は私が大学生の時に亡くなり正直ほっとしてしまった。
けれどその後も中途半端にある小金のせいで上記の兄と姉(姉は葬儀の時存在を認識した)が突然来て遺産争い。
祖父は祖母に全てを遺したのでそれは祖母が生きている現在も続いている。
正直少しでも子供たちに分けていればここまで争わなかったのにと思うし、私の実家は祖父の名義(現祖母名義)だからなぜ父のマイホームを手放さなければならなかったのに実家までその争いの最中に入れなければならないのかも納得いかない。
祖母は寝たきりにはなったけれどアルツハイマーと鬱病で危険行動はまだあるし、中途半端に上半身も動くのでホームには入れてもらえないから要自宅介護。

実は弟もいるけれど、ずっと空気状態。
弟も精神的に辛かったとは思う。
家庭が崩壊し始めた時期から私の部屋から漫画を勝手に持っていって返さなくなり見つけた頃にはぐちゃぐちゃということがあり、姉弟喧嘩をする事が多くなった。
けれど仲裁に入る母は私を一方的に怒鳴り弟が可哀想と言う。
父は母の言いなり。
多分母と反対の意見を言ったら自分にヒステリーが降りかかってくるからだと思う。
当時の私はそれが本当に納得いかなかった。
事あるごとに私は怒られるのに弟は怒られず、可愛い可愛いされる。
私は遅く帰っても「信用してるから」という言葉一つで済むけれど、弟は少しでも遅くなれば心配何かあったのではとなる。
中学受験私はさせるつもりないけど弟は繊細だから元々私立のつもり。
私なんて産まなければよかったと父に言っているのも聞いたことがある。
私はこの母の言う「信用してるから」が大嫌いで、結局は信用してると言って放置してるだけじゃないと思っていた。
ここにあるような放置というほどはされていないし、お金もご飯も与えられてた。
けれどそれだけだった。
母親が男子共を優遇してしまうのはよくあることだと聞くけれど、それは子供にとって何の言い訳にもならないよ。
私の中で現在も弟に対する僻みと両親にとっては私は結局いらないのではという気持ちが拭いきれない。
母の産まなければという言葉が頭から離れないし今でもスイッチが入ると私にだけ理不尽にヒステリーが出るし、父の事なかれ精神とそんな大変な時期に浮気をしていた事も今でも許しきれていない。
事あるごとに父の悪口と父は自分のお金(祖父の遺産でそんなに大きな額でもないし父もそれなりには稼いでる)を頼りにしているから離婚しないということを電話でも言われるのも娘として精神的に辛い。
友人に対してもこんな家庭環境など言えるわけもなく、何となく壁を作ってしまう。
何より私も若干鬱病を患っていて不眠症も出てきている。
自覚したのは大学生の頃でその時は絶望した。
祖母と母を見ていてどちらも未だに治っていないから。
彼はそんな私の気持ちも聞いてくれて、理解してるというよりは深く考えてはいないようだけどそれでも受け入れてくれていてとても感謝している。
けれど母のようなヒステリーな部分もあることに気付きショックだし、いつか母のようになるのではと不安でしかない。
子供もいつかはと思っているけれど、こんな捻くれた性格でちゃんとした母親になれるのか…

長々と書いた割には大きな修羅場もないかもしれないけれど、私の中では現在も続く修羅場。
幸せになるためにも不眠を治しつつ捻くれた性格を直して人生やり直したいと思ってる。
誰にも言えなかったから少しスッキリしました。

引用元: ・今までにあった修羅場を語れ【その8】




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