02様よりご投稿いただきました。

ありがとうございましたm(__)m
 

いつも楽しく読ませていただいています。

読んでたら思い出す人が居たので投稿させていただきます。


まずは簡単なスペックから、、、

悟(私) 暗いキャラで、今で言う陰キャラ?

わりとがっちりした体型です。


裕子 150センチくらいで、細身。黒髮ロングでいつも本を読んでいる女の子。


私は小学生のときからに軽いいじめにあっていて、中学になってもそれは続き、高校デビューというものに挑戦した春のことでした。


運動もそこそこに出来るので陸上部に入部した私は毎朝の朝練と放課後の練習で走っていました。長距離をしていました。

恥ずかしい話、すごく遅くて地方大会でいつも終わるような成績でした。


一年生のときの英語の授業で、私は裕子と出会うことになります。

英語の授業は、入学して、はじめのテストの成績でクラス分けをされてたので、他クラスの人たちと同じ授業を受けていました。

私の左斜め後ろの席に座っていた女性が隣のクラスの裕子でした。


私はこの瞬間、恋に落ちました。当時15歳、はじめての一目惚れでした。

この時から私は英語の授業が楽しみになりました。

裕子と会えるのは英語の授業と、休み時間の廊下くらいです。



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となりのクラスに顔をだしたりするのが恥ずかしいと感じていた私は、何もできずただ、英語の授業では後ろを振り向き、休み時間になれば廊下に出る、といった行動をしていました。


ある日の英語の授業の終わったあとに、彼女に声をかけました。

「あの、、、」

「?」

彼女は言葉を発さずに首を傾げました。


「よよ、よかったら、メールください!」


と言って、メールアドレスが書いてある、ルーズリーフの切れ端を裕子に渡しました。そして素早く部活に行きました。

今でもそうですが、緊張すると汗と早口言葉になってしまいます。これは今年23になる今でも治りそうにはありませんね。(笑)


部活を終えて携帯を見ると、メールがきてました。


『メールしました。登録よろしくお願いします。裕子』


年頃の女の子のメールなんて、絵文字ばっかりだ!と思っていた私にとって、この文字と句読点のメールは淋しく感じましたが、それ以上にメールがきた事実がとても嬉しかったです。


彼女はメールをあまりマメに返す人でなく、一日一通ずつのやり取りをしていました。たまに返事がない日もありました。


スローテンポなメールのやりとりが続きつつ、私は部活に励みました。裕子と陸上が私の高校生活の全てでした。


高校二年生になり、ついに修学旅行!!

ネズミーランドに行くことになり、一日その中で自由行動という日がありました。

やはりみんな、彼女とまわったり、友達とまわったりと、楽しくその日にむけて、話していました。

私も勿論、裕子にメールをしました。

『修学旅行の、遊園地、一緒にまわらない?』

すると裕子は、わりとすぐにOKの返事をくれました。


しかし現実っていうのは上手くいかないものですね。(笑)

私は二人で回りたかったのですが、変なヤジ馬が着いてきて、結局男女8人くらいで回りました。あまり話せず、でした。



修学旅行を終えてからは、冬がきました。

裕子は学校に来なくなりました。私は駅伝シーズンということもあり、部活に励みました。


気が付けば彼女は隣のクラスの名簿から消えていました。

色んな噂を聞きました。

家庭の事情、病気、、、など。

メールをしても返事がないので私は彼女を諦めました。



それからは部活にだけ没頭しました。

彼女は出来ても、カタチだけで、長くは続きませんでした。今思えば、元カノたちにも申し訳ないことをしたと後悔しています。


部活も順調に引退して、良い成績は残せずとも努力し、後輩たちにも泣かれました。幸せ者だなあ、と痛感しました。

大学も推薦入試で決まりました。Fランですが、友だちも多く出来、留学生で来ていた外国人とも仲良くなりました。


そこにはもうあまり、暗い自分はいなかったんだな、と思います。


21になる年、大学3年のころに友達と話をしていました。

恋バナをしていました。そしてふと懐かしくなり、彼女のメールアドレスにメールをしてみました。


当然、メールアドレスを知ってから6年くらい経っているので返事は期待していませんでした。この宛先は間違っていますとか、くるんだろうと思ってました。


すると

『おひさしぶり。げんき?』と裕子から返事が来ました。

奇跡でした。すぐに返事をすると、彼女からまたメールがきて、、、

あっという間にデート(と言っていいのか分かりませんが)の約束をしました。


デート当日、約束の場所に現れた彼女は変わっていませんでした。髪の毛は黒髮ロングから茶髪のショートヘアになってましたが、私が恋した目や鼻、声など変わりません。



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首を傾げる、仕草も。



沢山話をしました。彼女が高校を辞めたのは適応障害だったようです。

修学旅行には行きたかったの。と言われた瞬間に嬉しくて涙が出そうでした。

誘って良かったと思いました。


クラスメイトのその後など沢山話をしました。彼女は大好きなミルクティーを飲みながら私をを見ています。

それが、その現実が嬉しかった。


そのあと、4月ということもあり桜を見に行きました、

川沿いを桜が咲いていて…。今でも春になればここを通ります。


5月に入り、今度はショッピングモールで遊びました。私のバイト先もあるショッピングモールで、まだ付き合ってもいないのに、彼女をバイト先の人たちに見せびらかしたかったのです。(笑)


先に待ち合わせ場所にいた彼女はベンチに座り、足をぶらぶらさせて、天井を見ていました。今でもその風景は覚えています。本当にそこにしか焦点があわなくなるんですね。ドラマみたいに。



「今度ね、アルバイト先で飲み会があるんだ。でも私、白系のワンピースとかしかないから、汚れるの嫌だなあ」

彼女はパスタ屋でアルバイトをしている、今はフリーターだそうな。


たしかに今回は白のワンピース、4月にあったときは、白シャツにジーンズだった彼女。


「じゃあ、服みにいこっか。」


まだ彼氏ではなかったので、お金は出しませんでしたが、一緒に選びました。

黒に白のドットが入ったワンピースを。


後日、そのバイト先に私の友達がいて、飲み会のことを聞くとそのワンピース着てなかったそうです。(笑)

しょうがないかっ!と思い気になりませんでした。



とにかく彼女といると楽しかったんです、私。



6月になり、彼女にメールをしました。

いま思えばもっとすぐ連絡をとればよかったなあと思います。

私は次会うときに黒のワンピースを来て着てたら、告白しようと決めていました。


するとすぐに返事がきました。

『裕子の母です。すみませんがこの携帯に電話をしていただけませんか?』


ん?となりました。間違えたかな?

いや、あってる。裕子だ。

もしかして、嫌だったかな?それで親にいったのかな?


恐る恐る電話をしました。



裕子の母が出ました。

「いつもお世話になってます。裕子ですが先週の金曜日に交通事故で亡くなりました。」


「え?」


そこからの会話はあまり覚えてません。ただ、ただ、彼女の母親の震える声を聞いているので精一杯でした。


最後に

「ありがとうございました。」と言われ、電話は終わりました。何か私も喋ったと思うのですが記憶がありません。


電話が終わった後、泣き崩れました。彼女の名前を検索すれば事故のネットニュースが出てきて、どれも、どれを読んでも彼女のことでした。


しばらく泣いて、病んで、落ち着いたときには数日経っていました。

裕子のメールアドレスに私は最後のメールを送りました。

勿論、彼女の親族に読まれる前提で、彼女への思いなどを打ち明けました。もちろん、あのワンピースのことも。


すると返事がきました。返事はやはり彼女の母親からでした。


『わざわざありがとうございます。

もしかしたら黒のワンピースかな?

それでしたら嫌がってはなかったと思います。


裕子の性格上、絶対嫌いな人とは出掛けません。

これから大学生活、就職活動と頑張って下さいね。


たまには裕子のこと、思い出して下さいね。』



そこでメールは終わりました。

あれからもう2年。出会ってからだと8年。

もう社会人一年目になりました。


決して人に自慢できるような給料を貰っているわけじゃありません。相変わらず、緊張すれば汗もかくし、早口になります。

彼女はいません。本当、どうしようもないダメ男みたいです。(笑)


15のときから変わらずの私です。

15のときの自分と、変わり成長し続けるであろう自分を大切に生きて、いきたいと思います。


そしてもし天国で会えて、目があったら、そっと首を傾げて下さい。

また汗ばんだり、早口かもしれないけど、今度こそ告白するので。




自己満足な長文失礼しました。(^^)

 




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1001: 以下、おすすめ記事をお送りします: 2014年07月24日 11:12 ID:kidanmatome